縄文を旅する1 中部地方2 火焔街道を行く1 2013. 06.08(土) 新潟県長岡市関原町1丁目 字権現堂2247番2 再取材 前回撮影失敗のため再度別HPを編集アップロードしました。 新潟県立歴史博物館 Part2 Part1 Part3 |
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縄文時代全史年表 縄文展示の重要なパネルです。他館との違いはこのパネル内容に象徴されています。 この大切なものをみんな読みもしないで通り過ぎてしまいます。 どうかじっくりとご覧ください。 縄文時代6期を別々に深い考察を加えながら展開する年表です。 縄文という時代のあらゆる疑問を、一目で理解できる年表です。 私が再取材したのはまさにこの年表を撮影しなおすためだったのです。 それほど私にとってこの年表は素晴らしいものだと感じています。 安物のカメラですので、やはりうまく撮れていません。 そこで、わかる限り、文字に置きなおしてみました。多少誤植もありますが参考にしてください。 31 |
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32大陸との交流 大陸や半島のどこから、どんな文化を持って人々がやって来たか一目瞭然のパネルです。 |
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33人と物の交流 最大時でもわずか25万人が分散して暮らす列島で、道もないのに人々は交流し、交易し、嫁取りまでしていた。 自らの存在を示す木柱をたて、海に向かっては鏡石を置き、漁労・狩猟者ならではの方法があったのだ。 当時は人に出会うことがうれしく、敵意など持たなかったであろう。後期晩期以外は。 |
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34縄文工芸 自然の材料をよく知りつくし、生活を便利にしたり、また、心豊かさのために持てる能力を発揮した。 |
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漆工芸 長江流域の河姆渡遺跡からは7000年前の漆器が出土している。この文化を持った人々が持ち込んだものだ。 漆器技術を持ちこんだということは、それに付随する技術も持ちこんだわけで、高度な文化である。 '13.11.20新事実に遭遇しました。 日本最古の漆製品 ウィキペディア12600年前の鳥浜貝塚と記述 ウィキペディア2垣ノ島遺跡の9000年前という リンク3カボト遺跡7000年前の記述 リンクC 福井県鳥浜貝塚から12600年前の漆工芸品が出土していることを知りました。(誤記)また、DND分析で漆の木は日本固有のものだったという。 では、日本から大陸へこの技術を伝えるために人が渡ったのだろうか。対馬地峡は消え、丸木舟に乗って?'13.11.20 発見されたのは「漆の木」でした。が、樹液採取痕跡があるのか、真相がよくわからないので調べに行きます。'13.11.20 なるべく早く結果をご報告します。ついでに越前ガニを食べられたらいいなと思います。一人前\36000はちょとタカイ 「鳥浜貝塚出土の12600年前の漆の木」について若狭縄文博物館で調べてきました。 '13/12/05 鳥浜貝塚出土のウルシの木についてのご報告。 問題の木の写真が載ったブログ 結果 鳥浜貝塚から、1984年に発見され、11000年前頃の土器と共に出土した炭化した樹木から作られたプレパラートが、 最近になって樹種を同定出来るようになり、 調査の結果、ウルシの木(漆の樹液が採取できる木)で12600年前のものと2012年に判定されました。 保管 この木があるのは若狭歴史民俗資料館(休館中)で、常設展示はしていない。(しない) 形状は小枝。当然樹液の採取痕はない。若狭三方縄文博物館にはB5版程度の写真が展示されているだけである。 本日13/12/05行きましたところ、館内燻蒸のため臨時休館中でしたが、発見当時の貴重な文献とお話を伺いました。 調査 1984年出土した。プレパラート化。 2005年に森林総合博物館(つくば市)がウルシと同定。(木材組成から植物名を同定) 現在、列島の山野に自生するウルシと同じ種類であることがわかった。 2012年国立歴史民俗博物館が放射性炭素分析から12600年前のものと鑑定。 ※現在日本に見られるウルシであるという表現の仕方があるいは曲解され、 日本固有種と受け取られ、これが独り歩きして ウルシは日本固有種で、日本が発祥の地であると流布されている。 調査の過程でDNA分析は行われておらず、組成検査という目視と、炭素分析という燃えカスによる分析である。 ※三内丸山遺跡出土のウルシは佐藤洋一郎氏(静岡大学)によってDNA分析が行われ、比較した中国産とは違うと鑑定された。 これを、日本のウルシは日本固有種という意味に曲解されたようです。 さらにWikipediaの誤りから、ネット上の言葉が研究者の言葉や、事実と誤認され、尾ひれを広げていったようである。 ※ウルシに対する国際共同研究は2004年から始まり、まだ、初期段階である。(下の是川縄文館写真参照) 結論 森林総合研究所が2013.08に出した文書「ウルシの健全な森を育て、良質な漆を生産する」の 「ウルシという植物」という項目で「中国原産と考えられています。」とはっきり述べている。 日本のウルシは大陸から持ち込まれたものである。 調査内容全文 35漆工芸 |
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36狩猟と食生活 狩猟は彼らの文化である。高い技術を獲得していなければ生きていくことができないのだ。
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37漁労 原始的な漁労法はこの時すでに確立しており、近世近代にそれを大規模化、機械化しただけで、 現代も世界の各地でこの時の漁法が行われている。 |
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38縄文建築 縄文人は木組の技を使って、高度な建築を行っていた |
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39織物 つい近年まで縄文人は全裸・裸足で毛皮をまとっただけで描かれていた。それが、学問の常識だったのだ。 バイカル湖文化センターからやってきた人々が、そんな姿でいるはずがないではないか。 寒冷地に適応し、寒冷対策が出来た人々がやってきたのであって、衣服や防寒靴などを身に付ける知恵と技術を持った人々であった。 39貝塚 大変な量の貝を採取し、加工や食糧にしていたようです。 |
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41採集と栽培 -縄文の食事- |
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42貯蔵 食料の貯蔵には、地下貯蔵穴 と 高床式倉建物 とがあった。北方系は地下式が多いと言われている。 |
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アップロードの量が膨大になっています。これ以降はPart3に掲載することにします。 ご訪問ありがとうございました。 Part3 Part1 |